数年前、訪問したフィリピン・ミンドロ島の村でのこと。
私たちを村まで送り届けてくれたジープニーのドライバー、彼の息子の1才の誕生日会に招いていただいた。
自宅には村人全員が集っていると思えるほどの人ごみの向こうに、主人公の息子の似顔絵が掲げてありました。
庭に設けられたテーブルには、この村では滅多に口にできない肉料理を中心とした豪華な料理がずらりと並び人々に振る舞われて、
もちろん私たちもごちそうに預かりました。
お話を伺ってみるとこの豪華な誕生日会には子どもに対する親御さんのなみなみならぬ思いが込められていることを知るに至ります。
「1才まで生きることができたら5才まで生きる確率が上がる。」
私たちも子どもの誕生日は家族挙げて祝います。
しかし、その意味合いがこの貧しい村では相当違うことが分かりました。
フィリピンのCMR(乳幼児死亡率2013年報告)は1000人中20人。
生まれても栄養失調などでいのちを落としてしまう子どもが多いとのこと。
これはフィリピン全体の平均ですから、貧困に喘ぐ地方の村ではこの数字よりも多いことでしょう。
生後1年、無事にこの子が生き抜いたことがさらにその先のいのちへと繋がってゆく。
その喜びと感謝がこの豪華な振る舞いに現されているのです。
喜びの輪の中に置かせていただいた私たちは御馳走を食べる手を止めて、生きることの重さといのちの尊さを考えさせられました。
昨今の日本では物資的な豊かさを享受する反面、人のいのちが、特に幼子のいのちが軽んじられる出来事が頻発しています。
「めんどくさい」「むしゃくしゃする」「わずらわしい」「邪魔」など、大人の都合で幼いいのちが翻弄されていないでしょうか。
ぜひお近くのグレース宣教会においでくださって、私の、この子の、そしてあの人のいのちの尊さをご一緒に考えてみませんか。
そして、私が生きること、生かされていること、また人々と共に生きることの意義を見出してみませんか。
あなたのお越しをお待ちしています。
「あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足を、つまずきから、救い出してくださいました。
それは、私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むためでした」(詩篇56篇13節)
グレース宣教会牧師
日本国際飢餓対策機構巡回牧師
田村治郎