「人々の内にあるもの」

数年前、搭乗したある航空会社の機内誌にベトナム・ホーチミン市中心部にある日本人オーナーのベトナム料理店が紹介されていました。

そこは数年前、ホーチミン在住の友人夫妻に連れて行っていただいたお店でした。

そのオーナーともお話をさせていただいたり、翌日の開店前には、店員の2人に連れられて、

彼らの暮らす貧困地域を訪問させていただいたりと、私にとっても特別な思いのあるお店です。

 

料理のうまさも感激でしたが、そこで働く若い店員の接客態度の良さに感心しました。

滞在中はいくつかの店で食事をしましたが、良い印象の接客をする店は少なかったこともあって、とても気持ちの良い夕食となったのです。

 

オーナーと話をする中で、店員たちの態度の秘訣が分かってきました。

ここで働く店員のほとんどが孤児院や貧困地域で暮らす若者たちで、

中には貧しさのゆえに親に捨てられストリートチルドレンだった者もいます。

そんな環境ですから躾やマナーなどとは縁遠いところで育ってきていました。

オーナーはそんな彼らを積極的に引き受け、どこで生まれ、どんな環境で育ったとしても、それで人の価値が決まるのでない。

たとえ貧しくて何も持っていないようでも、その人の存在そのものが尊いこと、

誰もがすばらしい能力をもっていることを仕事を教える中で人間としての尊厳を徹底的に教え続けたそうです。

 

「まず自分の人生の大きなベースを作ってくれたベトナム(人・社会)に恩返しをしたい、という気持ちがありました。

 若者たちと一緒に何か社会的に面白いこと、意義あることにチャレンジしたいと思ったんです。

 よく遊びに行っていた孤児院の若者たちの持つ潜在能力、人生への熱に感銘を受けたことも大きいですね。」(AllAbout記事引用)

 

当初は信じられないミスや感性の乏しさに先行きが不安になることもあったそうです。

しかし、今では日々生き生きと自分の内にある能力や才能が引き出されていき、働くことを喜び、

報酬を得ることに感謝する彼らの生き生きとした姿に励まされているとのことでした。

彼らのもてなしの心地よさや、その素敵な笑顔の輝きの源が分かります。

 

私たちの生活は、物質的にもとても豊かになりました。

好きな時に、好きなだけ、

好きなものを食べ、好きなだけ捨てることもできます。

必要なものはお金さえ出せば何だって手に入れられるようになりました。

彼らの姿は、飢餓と貧困と闘いそれを乗り越えてゆく人々の姿と重なります。

どうしても目に見えるものや豊かさに心を奪われ、目に見える豊かさは何もなくても、

一人一人の内にあるすばらしい能力に目が開かれるなら、自分の人生を切り開き、他者と共に生きて行ける。

私はさらに人々の内にあるものを見いだせる目をもち、そしてそれを引き出されてゆく働きに協力させていただきたいと、

思いも新たに日々働きに従事しています。

 

最後に聖書の言葉をお送りします。

「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれの 形として、われわれに似せて。

 彼らが、 海の魚、 空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべての ものを支配するように。』

 神は人をご自身のかたちとして創造された。 神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創 造された。」

(創世記1章26-27節 )

 

私たちは、単に偶然にこの世に生きてるわけでなく、この天地を創造された創造主の神の形に似せて作られた存在。

目的と意味と、そして誰もが潜在的な素晴らしい能力が与えられているということです。

私たちに大切なことは、その事実をしっかりと受け入れる時、あのベトナムの若者たちのように、新しい歩みが始まるのではないでしょうか。

どうぞお近くのグレース宣教会においでください。

そこで、新しい人生の歩みのきっかけを創造主との出会いを通して与えられるはずです。

 

グレース宣教会牧師 

日本国際飢餓対策機構巡回牧師

田村治郎

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