『八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。』(ヨハネの福音書 20章26節)
デドモと呼ばれるトマスについて、皆さんのイメージはどうでしょうか。彼はイエス様がよみがえられた当日、ほかの弟子たちと一緒にいませんでした。ですから、ほかの弟子たちが復活の喜びを伝えても彼は信じるどころか、彼は皆に「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れて見なければ、決して信じません」と言ったのです(ヨハネ20:25)。イエス様はトマスのために八日後に再び弟子たちに現れてくださいました。それで、トマスは復活の当日ではなかったが、よみがえられた主に出会いました。すなわち、復活信仰の遅刻生となったのです。
1.トマスに対する誤解
私たちはトマスについて「疑い深い者」というイメージを持ちやすいです。主の復活をなかなか信じようとしなかったからだと思います。しかし、よくよく考えて見ると、ほかの弟子たちとトマスとはあまり変わりませんでした。ほかの弟子たちも復活したイエス様に出会うまではなかなか信じようとしなかったからです。初めによみがえられた主に出会ったマグダラのマリヤの証しを全く信用しませんでした。マルコの福音書16章11節に「彼らは、イエスが生きていて彼女にご自分を現わされた、と聞いても信じなかった」と記されてあります。約2000年前のイエス様の復活は私たちが思うよりもっと信じ難いことだったかもしれません。そう考えると単に、トマスだけが最も疑い深い者ではなかったと言えるのではないでしょうか。
2.トマスの告白
八日後、イエス様はトマスがいる時に、再び弟子たちの所に訪ねてくださいました。主は彼に「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と言われたのです(ヨハネ20:27)。イエス様はトマスを責めるためではなく、彼の信仰を強め、復活を信じさせ、復活の証人とするために訪ねてくださいました。その時、トマスはイエス様の手と脇腹に指を入れたのでしょうか。いいえ、彼はイエス様に「私の主、私の神よ」とはっきりと信仰告白をしました(ヨハネ20:28)。
皆さん、トマスは疑い深い信仰者ではなく、また生ぬるい信仰者でもありません。彼は信じられないのに信じるふりをする者でもありません。ですから、彼は復活した主に「あなたは私の主、私の神です」とはっきりと告白したのです。
トマスは復活信仰の遅刻生でしたが、誰よりも主を自分の救い主としてはっきりと告白したのです。これこそ、主の復活の信仰ではありませんか。
(李 宗根師)