「神の知恵により、この世は自分の知恵によって神を知ることがありませんでした。それゆえ神は、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救うことにされたのです。」(コリント人への手紙 第一 1章21節)
私たちは、人の罪、神様のさばき、そして主の救いについて学びました。
今週は、人の救いをもたらす宣教について学びましょう。先ず、次の言葉をはっきりと心に刻みましょう。
「救いは、人類に対する主の恵みのわざであり、宣教は隣人に対する私たちの愛の実践である。」
宣教とは、人類の罪に対する主のさばきと救いを伝えることです。
即ち、聖書の言葉、その中心となるイエス・キリストを伝えることです。
宣教は脅迫ではありません。宣教は、人々に救いを伝える最も美しい働きです(ローマ10:15)。
そして宣教は、上記の御言葉にあるように主の御心であり、主ご自身も、
「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです」(ルカ19:10)と語り、
自ら天に召されるまでずっと宣教をされました(マタイ4:17、使徒1:9-11)。
そして、この宣教の働きを御一人で孤軍奮闘したのではなく、
きちんと12人の弟子たちを選び、訓練し、宣教の働きを託して下さいました(マタイ28:18-20)。
これは今日までイエス様を信じる私たち全てのクリスチャンに変わらない真理と主の命令として受け継がれています。
宣教は、滅んで行く人を救う最大の愛の実践です。
お金で、権力で、武器で、善行で、知識で人のたましいを救うことはできま
せん。
イエス・キリスト以外のいかなるものも人に永遠のいのちを与えることはできません。
聖書の福音だけです。このキリストに対する信仰のみです。
ところが、この宣教は難しいです。
なぜなら、私たちは、
①人の救いとさばきにそれほど深刻に考えてないから、
②宣教にはあまり関心がないから、
③人に福音を伝えたことがないから、
④信仰は人ぞれぞれのもので、人がどうのこうの強いるべきものではないと思っているから、
⑤主の御心に従ってない自分に気づいてないからです。
しかし、宣教は確かに主の御心であり、私たちがやるべき愛の実践です。
今、あなたの夫、妻、子ども、親、兄弟姉妹、隣人はあなたの宣教を待っています。
今は拒否し、嫌がり、無関心で怒るかも知れませんが、
そのたましいはあなたの宣教を必要としています。
あなたの宣教によって救われた人は、やがて天国でどれほど感謝することでしょう。
聖書は、「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。
忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」(IIテモテ4:2)
と、命じています。
福音をどう伝えるか祈り求め、学びつつ、しっかり伝えていきましょう。救いは近し!
(文責:金 大弘)