「キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。」(エペソ人への手紙 4章16節)
全てのクリスチャンが地域教会に所属し、礼拝をささげ、教会の教育と、証しの働き、
交わりに参加することは主の御心です。礼拝はその地域教会の存在の目的ともいえます。
地域教会での礼拝についてご一緒に聖書から見ていきましょう。
もともと聖書を開くと、礼拝とは
「被造物である私たちが、ご自身を明らかにされた創造主なる神様に応答する事(献げるモノ)」です。
人間の存在目的も、創造主を崇め喜ぶことです。旧約聖書に見る礼拝は、神様への畏れに満ちた驚きと、
感謝に満ちた賛美に溢れています。旧約時代には喜び踊った王様(IIサムエル6:5)までいたほどです。
旧約聖書のモーセの時代、契約の民に対して礼拝の諸規定や様式も細く与えられていました。
しかしイエスキリスト様の登場をもって大きく変わりました。
「・・・しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。・・・」
(ヨハネ4:20~23)
新約聖書全体には、旧約聖書の様に細かい規定はありませんが、
教会における礼拝がどの様なものかを見ていきましょう。
①聖書に見る「教会での礼拝の要素」ー賛美、祈り、説教、献金ー
新約聖書の教会では賛美が献げられ「詩と賛美と霊の歌」(エペソ5:19)とあり、
そこには多くの賛美歌の原型があります(エペソ5:14、ピリピ2:6~11、1テモテ3:16)。
また賛美とともに祈りが献げられ、たとえ投獄さても(使徒16:25)使徒たちは賛美し祈りました。
さらに使徒たちの教えとして説教(使徒20:9)がありました。説教が礼拝でも必須であったことは明らかですね。
さらに毎週の礼拝ごとで献金も捧げられ(Iコリント16:2)働きの原資とされていました。
十分の一の献金(聖別献金)と共に、集会献金も大切にされていました。
②主の晩餐「定期的な聖餐式」の執行
新約聖書の教会で更に特筆すべきことは聖餐式です。
初代教会では当初は家々で行われ、地域教会が生まれると共にその集まりでも「パンを裂く」(使徒20:7)という、
主の晩餐が定期的に行われていたことがわかります(Iコリント11:23~32)。
その聖餐式ごとにキリスト様の犠牲を覚え、新生したクリスチャンは感謝を献げていました。
私たちの教会でも、原則、月に一度、信者だけで集まり聖餐式を行なっています。
又、教会での礼拝は、やがて到来するであろう新天新地での礼拝にも(黙示4:11、21:1~4)繋っており、
霊的に生き生きと、活気にあふれ、歓喜に満ちたものです。
それでは、対面礼拝でも、リモート礼拝でも、事情があって1人でも、
「今日あなたは礼拝をどのように捧げましたか」
イエスキリスト様の来臨以後何処にあっても御霊と真理によって礼拝を捧げるのです。
もちろん地域教会で集まって捧げる礼拝を大切にしましょう。
皆さんの捧げる礼拝の祝福を心より祈っています。
(文責:藤﨑秀雄)