「御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。
神のひとり子の名を信じなかったからである。」(ヨハネの福音書 3章18節)
先週は「罪に対する神の審判」について学び、今週は、その罪についてもう少し具体的に学びます。
自分の罪を悔い改め、神様の恵みに生き、豊かに実を結ぶ日々となりましょう。
聖書が語る罪とは、大きく3つあります。
①行動としての罪
殺人、姦淫(浮気や不品行など)、淫らな行い(性的堕落行為)、盗み、偽証(偽りや嘘など)、
ののしり(マタイ15:18-20)、不義(不正)、悪、貪欲、ねたみ、争い、欺き、悪巧み、陰口、
中傷、人の侮り、高ぶり、大言壮語、悪事の企み、親に逆らう、浅はか、不誠実、情け知らず、無慈悲などです(ローマ1:29-32)。
これらの行いは全て神様の御前で罪となります。
②心で犯す罪
情欲を抱いて女性を見る者は誰でも、心の中で既に姦淫の罪を犯したと主が指摘しておられます(マタイ5:28)。
貪欲もそうです(コロサイ3:5)。私たちは、心で思うだけでは罪とはならないと思いますが、
私たちの全ての思いを御存知の主は既に罪を犯しているとはっきり教えて下さったのです。
ですから、人を心の中で見下したり、軽蔑したり、無視したり、憎んだりすることや悪意、
殺意を持つことも既に罪を犯したのと同様であることを知らなければなりません(マタイ15:19)。
実に、私たちの心は罪に満ちているのです。
③霊的な罪
創造主なる真の神を信じない事や聖書の神以外の偶像の神々を拝む事です(黙示録21:8)。
上記の言葉には神から遣わされた御子キリストを信じる者はさばかれないが、
信じない者はすでにさばかれていると指摘しています。
神と神様から遣わされたキリスト・イエスを信じない不信仰は大きな罪なのです。
更に、キリスト・イエスを信じる者に与えられ、助ける為に遣わされた聖霊を信じず冒涜する者も罪を犯すことになり、
それは赦されません(マタイ12:31-32)。何よりも、神のみことばに聞き従わない事も偶像礼拝の罪となります(Iサムエル15:22-23)。
ですから、実に、私たちは、自分がいかに罪深い人間であり、罪を犯しやすい惨めな者であるかを知るべきです(ローマ7:14-24)。
知るだけでは足りません。自分の罪に対する悔い改めが必要です。
幸い、イエス様の十字架は私たちの罪の身代わりの代価であり、犠牲です。
私たちは、自分の罪を認め、悔い改め、このイエス様を自分の罪からの救い主として信じることにより、
全ての罪が赦され、きよめられ、救われます。これを知っていますか。感謝して下さい。
知らないですか。今、悔い改めて信じましょう。主の恵みは計り知れないのです。
(文責:金大弘)