『聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。』(コリント第一 12章3節)
今年のペンテコステは5月23日(日)です。
イエス様は、よみがえられたのち40日間弟子たちに現れてくださり、
天に昇られてから10日後、集まっていた弟子たちにご聖霊が注がれました。
そして、今私たちが生かされている時代は使徒の働きの続き、ご聖霊の助けが多くの部分にあるということができます。
イエス様が昇天され、再臨されるまでの期間を、私たちはご聖霊と共に生かされているのです。
しかしながら、それにも関わらず、私たちクリスチャンの意識の中でご聖霊の存在への意識が小さすぎるということはないでしょうか。
今月は、ご聖霊のことについて再度学んでいきましょう。
今日は、私たちが信仰告白をするときだけ助けてくださるのが聖霊なのではなく、
生活の中心にイエス様を主と据えて、共にあゆむことを見てまいりましょう。
聖霊の賜物によって「イエスは主です」と告白することができる。
Ⅰコリント12:3は、聖霊の賜物について述べています。
パウロは、聖霊によらなければ誰も「イエスは主です」と告白できない、と言っています。
偶像の神ではなく、キリストのもとに行く人には、御霊が働いてくださっていることを、彼はコリントの信徒にはっきりと知らせました。
イエス様を、生活の中心=「主」とするとは、どういうことでしょうか。
イエス様は、あなたにとって、救い主ではあっても、果たして『主』として、あなたの中心におられるでしょうか。
イエス様をご自分の人生の『主』としてお迎えして歩むことを思い出させていただきましょう。
ただ、「主よ」と祈り求めるだけではなく、心の底から主として、イエス様をお迎えすることが大切ということは、
どういうことかというと、全ての事柄において、心の思いも含めて、イエス様の確実な愛と恵に満ちた支配の下に保たれているということです。
家庭の中でも、主を主としてお迎えし、家庭での家族との会話も、交わりも、催しもすべてが、
イエス様のみこころと主権に立ったものとする生活が、「イエスは主です」と告白している生き方です。
家庭だけでなく、主イエス様は、あなたの仕事、商売の主でもあられます。
事業計画は主の承認を経たものでなければなりません。
アルタシャスタ王の「天の神の宮のために、天の神によって命じられていることは何でも、熱心に行え。」という御言葉は私たちの指標です。(エズラ記7:23)。
そのために聖霊のご臨在を仰ぎましょう。
聖霊のみわざが十分に生活の中で行われてこそ、「イエスは主です」という主権は、確立されるのです。
(向頭 源太)