「兄弟たちよ。私の心の願い、彼らのために神にささげる祈りは、彼らの救いです。」(ローマ人への手紙10章1節)
仏教が日本に渡来してから1500年ほど経ちます。
私たち日本人は、先祖代々受け継がれてきた仏教の教えが受け継がれ、
また祖父母や親などを通して無意識のうちに仏教的な雰囲気に接し、
私たちの心や知識あるいは生活習慣の中にまで、日本的仏教の考え方や生き方が息づいています。
それにもかかわらず、日本人は仏教についての教えや知識や葬儀などについてあまり知らないのではないでしょうか。
では仏教とは何か、仏教の教え、仏教でいう救いとはなんでしょうか。
まず仏教は無神論ですから、絶対者なる創造主はいません。
仏教とは人間のためにある、人間による宗教と言うことが出来ます。
仏教は人間がこの世界の中で悟りを開いて仏陀、または仏になる道を教えるものです。
では仏教による悟りとは何でしょう。
仏教において人間の一番大きな問題は、「生老病死」の「苦しみ」です。
苦しみの最たるものは、生まれ出る苦しみ、年老いていく苦しみ、
病を得る苦しみ、最後は死ななければならない苦しみです。
さらに愛する者との別離の苦しみ、憎い人と出会うことの苦しみ、
求めても得られない苦しみ、最後は心と体が病むという苦しみが加わり、「四苦八苦」の苦しみです。
この苦しみから抜け出すために釈尊は、「四諦八正道」4つの教えと8つの正しい方法、
行い、正しい心の持ち方を務めれば解き放たれると教えます。
その最後の教えに、「世の中のものはすべて移り変わり、消えていくもの」であることを知り、
あきらめることを知ることこそ悟りであると説いています。
しかし、もし悟りを開けず死んだ場合には、仏教の輪廻思想によって、
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天のどれかに生まれ変わります。
誰かが決めるのではなく、自動的に決まります。
運よくもし人間に生まれ変わることが出来たなら、再度悟れるように努力します。
これの繰り返しですから、生老病死の「生」は苦しみなのです。
罪について、仏教の基本は苦しみですから、罪がそんなにわからなくても、
苦しみのことがよくわかれば、人は悟りの方向に向かうことになります。
ところが聖書では、救いを得るためには、自分がいかに神の前に罪深い者であるかを知る必要があります。
「罪の報酬は死」(ローマ6:23)だからです。神の裁きの前には、人は何もすることが出来ません。
しかし、愛なる神は、罪を悔い改めてイエスを罪からの救い主と信じるなら、罪から救うとの約束です。
信じるだけで、私たちは罪と死の問題から解放され、平安を頂くのです。聖書の救いにあずかってください。
(文責:木村美紀子)