クリスマス、ひとりじめ!(ルカ2:1-14)

きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(ルカ2:11)

 

毎年クリスマス時期になると思い出すことがあります。

それはもう30年以上も前のことですが、私が高校生指導のスタッフをしているときに、合同のクリスマスイベントを行いました。

たくさんの高校生が集い、バンド演奏やゲーム、またおいしいスナックやメッセージで楽しく過ごしていました。

集会の最後に、一人ひとりに「何か、クリスマスの思い出を聞かせて」と振ってみました。

ひとりの全く初めて集会に来てくれた高校生ですが、彼が言った言葉が今も忘れられません。

「今日、この集まりに来てとてもびっくりした。2000年も前に生まれたイエスという、

 自分の知り合いでも家族でもなんでもない人が生まれたことを、こんなに皆が、

 いや全世界でお祝いしているなんて信じられない!僕は生まれてから今まで誕生日におめでとう!

 なんて言ってもらったことがない。それどころか、「お前なんか生まれなかったほうがよかった」とか

「お前なんかいらなかったんや」とか、ずっと言われてきた。

 でも、今日ここにきて、イエスという人の誕生をこんなに皆がお祝いしている姿を見て、とても羨ましい思いになっています。

 実は25日じゃないけど12月が僕の誕生日なんです。よかったらHappy birthdayって言ってくれませんか?」と。

当然、皆でその高校生のために大合唱しました。

 

2章11節で天使が歌い上げた、

「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」の、

「あなたがた」のなかに、やっとこの高校生も自分を見出すことができました。

昨年のクリスマスメッセージで「分かち合うクリスマス」を皆さんにおすすめしました。

もちろん、いのちを捨てるほどにこの私を愛してくださったイエス様の愛を私たちはいただきました。

だからこそ、その愛をクリスマスの時に「誰か」に分かち合って欲しい気持ちは変わりありません。

でも、今年は少し我がままな言い方をします。

それは「クリスマス、ひとりじめ!」です。

『きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。』

イエス様のお誕生は、文字通りすべての人々のためです。

それと同時に、この私のためにでもあります。

今年は、この「私のために」ということをじっくりと思い巡らして欲しいのです。

皆さんにとって、この一年はどのような年でしたか?

仕事においても、家庭生活においても、また経済的にも健康面でも、うれしい良いこともきっと多くあったと思います。

でももしかしたらそれ以上に、がっかりすることやうなだれてしまう日常が、悲しくて涙が止まらなかったことや、

「なぜ、どうして」とその理不尽さにやるせない思いの置き場を見いだせないで、

今日まで歩んで来られた方々もきっといらっしゃるでしょう。

もしかしたら、何度も思い詰めて、1日1日を過ごされた方もいらっしゃるかもしれません。

「だれも私のことなんてわかっちゃくれない」と自暴自棄に呻いた日々もあったのではないでしょうか。

だからこそ、今年のクリスマスのおすすめは「クリスマス、ひとりじめ!」です。

ただただ、この私のために、こんな私のために、これほどに罪深い私の元に、

御子イエス・キリストは来てくれたんだ。私を創られた神を知らずに生きてきた、

この私を救うために、この私に永遠のいのちの希望を分かち合うために、

イエス様はこの世に生まれてきてくださった。

私の涙を拭うため、疲れ切った私の心に慰めと励ましをシャワーのように注いでくれるため、

そして、「さあ、罪赦された友よ。立ち上がって一緒に一歩踏み出してみよう」と、

「生きててよかった!」と言える人生の新しい歩みに押し出してくださる、

このイエス様をしっかりと「ひとりじめ」してください。

 

黙示録3:20節の招き
「見よ。わたしは戸の外に立ってたたいている。誰でもわたしの声を聞いて戸を開けるなら、

 わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」

あなたの心にイエス様をお迎えされていますか?

 

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